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耐震改修をしないのはなぜ? 建築設計者・施工者が知っておきたい、クライアントの気持ち

はじめに

いわゆる耐震改修促進法が改正され、要緊急安全確認大規模建築物の耐震診断結果の報告期限が本年12月末に迫るなど、多くの設計者や施工者、あるいは耐震診断などを専門とする調査会社が、診断業務とそれに基づく報告書の作成に追われているものと思われる。

私たちは、診断結果が悪ければ、当然耐震改修を実施するものと考えがちであるが、クライアントからみればそれほど単純なものではなく、実は多くの悩みを抱えている。もちろん、私たちも悩みがあることは理解できるが、彼らが実際に耐震改修工事の実施を判断するときに何を考えているか、明確につかみかね、プロジェクトが思うように進まないという状況を少なからず経験しているのではないだろうか?

本稿では、クライアントのパートナーであるコンストラクションマネジャーの立場から、彼らの判断基準について整理し、これにより設計者や施工者の効率的効果的な耐震改修業務の推進に貢献したい。

COST—PROFIT—SAFETY

[図1] 顧客の創造

ところで、20世紀の経営哲学の巨人であるP・F・ドラッカーをご存じだろうか? 彼が築き上げた経営理論は未だに古びることなく、いわば「古くて、新しい」。これが建築に当てはまるのであれば、これほど理想的なものはない。彼は、「企業の目的は顧客の創造」であり、そのための二つだけの基本的な機能として、マーケティング(註1)とイノベーションを掲げている(図1)。このうち耐震改修の是非を検討しているクライアントがイノベーティブな建物とすることを望んでいるわけではないことを考えれば、【マーケティング力の向上】こそが耐震改修工事を実施する際の大文字の【判断基準】といえる。

クライアントは、個人あるいは法人、属人的なキャラクター、テナントビル、自社ビル所有者など多様な背景をもつが、この基本的な事実に変わりはない。なぜか?少し読み解き、実務的な【判断基準】を導くこととする。

[図2] クライアントの判断基準

まず、クライアントが当該建物で取り込もうと考えている自らを含む顧客の真のニーズは、より安い(最適な)費用で、より安全な建物を利用することであり、そのため私たちのクライアントは、より安い(最適な)コストで、より安全な建物にし、顧客に利益を供することを考えている。クライアントは、これらの充足により新しい顧客を獲得し、発展的かつ安定的な経営という果実を得る。

つまり、そこにかける【コスト】と、獲得する【安全】、得られる【利益】(註2)の三つが実務的な判断要素となり、これに社会的責務にどう応えていくかという【属人的な思想に基づく重み付け】を加えたものが、クライアントの判断基準となる。このことは、しっかりと認識していただきたい(図2)。

以下、プロジェクトでよくある状況や用途別に、その判断基準と重み付けがどのように作用するか深掘りしてみる。

よくある状況とその判断基準―不動産鑑定評価の考え方で理解する

建物の資産価値を計るうえで、最も普遍的な概念といえる不動産鑑定評価の考え方をベースに、耐震改修工事がどのように評価、つまり資産価値に反映されるか理解し、まずは多くのクライアントと同じ経済的な目線から改修工事の判断基準を捉えたい。

鑑定評価には三つの方式(表1)がある。このうち、取引事例比較法以外の鑑定評価手法の考え方を用いて、実務上起こり得る状況を例に整理する。

[表1] 鑑定方式の三つの方法

原価法
原価法
再調達に要する原価に着目した手法
対象不動産の再調達原価を求め、経年劣化などその時点での減価修正を行って、価格を算出する方法
取引事例比較法
取引事例比較法
取引事例や賃借事例に着目した手法
多数の取引事例を収集し、適切な事例の選択を行い、地域や個別要因の比較を考慮し、 価格を算出する方法
収益還元法
収益還元法法
不動産から生み出される収益に着目した手法
対象不動産で将来生み出すことが期待される純収益の現在価値の総和。DCF法と呼ばれる方法が一般的

例1:告示184号(構造耐震指標Is値>構造耐震標準指標Iso)を確保する耐震改修とした場合

原価法の考え方に立てば、再調達原価が上昇、つまり同じ仕様の建物を再度つくろうとした場合のコストが上昇する。これはすなわち評価額が高まることを意味する。また、収益還元法では、賃貸面積や執務環境などがいたずらに損なわれないことを前提とすれば、利回り・割引率(註3)が低下し、この場合でも評価額、つまり資産価値は向上する。したがって、クライアントの判断基準は、安全性を固定(多くの場合Is=Iso)したうえで、コストと利益の2軸、この重み付けに収斂される。

例2:工事を数年に分けて実施する場合

近い将来、客観的に耐震改修工事が完成することが明らかであれば、工事を完了したものとする条件付きで、例1と同じ評価と判断基準が適用される。一方、途中で工事が中断される、あるいは工事完了が確約されなければ、その実情において以下に示す例3と同様に判断され、その評価額は十分には高まらない(註4)。このような中断リスクが考えられるプロジェクトでの重み付けは、安全(段階的に進めたどの場合でも、偏心率が高まらない)、コスト(再開した際に不必要な費用が発生しない)となり、次の段階へ一歩ずつでも進める決断を促せる、フレキシビリティのある計画を提案し続けることが重要となる。

例3:Is値<Isoの場合

Is値をIso未満でよしとする基準は残念ながら見当たらない。緩和基準がない以上、根拠なくクライテリアを下げた改修を提案するのはプロとして難しい。一方で、基準を満足できない事例は少なくなく、その理由の多くは利益を損なう(期待する機能を果たさなくなる、あるいは損なう)、コストが膨大、この二つに集約できる。Iso未満でも耐震改修工事を行えば、例1からも想定できるように、少なからず評価額は向上する。しかし、改修後も現行の耐震基準以下である事実に変わりはなく、評価額はIs値などの上昇分に比例しては上がらない。この場合の、クライアントの投資判断は難しく、私たちは実務的に有効な判断基準の提案を期待される。この一つの考え方を以下に示す。

改修費用+大地震時補修費用の最小値

平成18年国土交通省告示184号には、大地震を受けた際に、Is値の大きさによってどのような被害を受けるかが、明確に記載されている(表2)。当然、大きな被害を回避するために、極力Is値を向上させたいが、さまざまな理由からIs値を0.1向上させるのにかかる費用は一定ではない。一方、仮に被災した場合にその補修コストがいくらかかるか、そのコストはエンジニアリングレポートなどで一般的になってきたPML(註5)と再調達価格から算出できる、とするならば、設定する【Is値ごとの改修費用+PML×再調達価格】の概算値を算出していくと、その最小値となるIs 値が浮かび上がる(図3)。算定する会社の独自の判断が入るPMLそのものの普遍性など、そこに考えるべきことは多くあるが、クライアントからすればコストという定量的な基準で判断できる合理的な方法であり、有益な判断基準としてその利用価値は高い。なお、いつ来るかわからないリスクを示すPMLをそのまま採用するか、あるいは割り引いて足し合わせるか、さらには事業継続性をどのように担保するかなど、これはまさにクライアントとともにつくり上げるべき重み付け(図3 係数a)となり、以下に示す用途やプロジェクト、あるいはクライアントの特殊性、事情を考慮して決定することが望まれる。

[表2] 建築物の耐震改修の指針(平成18年国土交通省告示184号 別表 第6)
(Is:各階の構造耐震指標  q:各階の保有水平耐力に係る指標)
構造耐震指標および保有水平耐力に係る指標 構造耐力上主要な部分の地震に対する安全性
(1) Isが0.3未満の場合またはqが0.5未満の場合 地震の衝撃および衝撃に対して倒壊し、または崩壊する危険性が高い
(2)(1)および(3)以外の場合 地震の衝撃および衝撃に対して倒壊し、または崩壊する危険性がある
(3) Isが0.6以上の場合で、かつ、qが1.0以上の場合 地震の衝撃および衝撃に対して倒壊し、または崩壊する危険性が低い

[図3] Is値<Iso時の定量的判断基準の考え方

[図3] Is値<Iso時の定量的判断基準の考え方

用途別にクライアントの判断基準を知る

ここまで、クライアイントの判断基準としてのコスト・利益・安全性の3要素と、そのバランスという判断基準について示したが、いうなればこれらはあくまで必要条件であり、これだけで投資のトリガーが引かれるわけではない。投資の際の最後のトリガーとなる十分条件は何か、代表的な用途別に整理し、深掘りしてみる。

ホテル

昨年から今年にかけてインバウンド、つまり訪日外国人は増加し、首都圏に限らず、地方都市も観光客が増加、ホテル業界は活況を呈している。一方で、一部を除く多くのホテルは、資金力が潤沢とはいえない状況にある。このようなホテルにとって、耐震改修促進法に基づく調査とその報告は、死活問題となっている。つまり、耐震診断の結果が公表され、仮に旅行代理店やネット予約サイトが自らの社会的責任として、安全性の担保されたホテルを積極的に推奨するという方針になれば、基準を満たせないホテルは宿泊客が激減し、生き残りが難しくなる。なによりこの厳しい環境を理解したうえで接すること、さらに安全性を担保したうえで、利益、つまり可能な限り客室の良好な環境と稼働を守る計画を提示することが、投資のためのトリガー、十分条件となる。

マンション

手続き上は、いわゆる区分所有法に基づいた決議が必要になるが、平成25年11月施行された耐震改修促進法では耐震改修や再築が容易にできるよう、その決議要件が特別決議から普通決議に緩和され、後述する補助金制度などとともに耐震改修工事を進めていく基盤は固められている。一方、そこには所有者と同じ数の生活がある。つまり家庭ごとの事情によっても異なる個の利益と、集団の利益、このベクトルをどのように揃え、合意形成を育んでいくか、これこそが十分条件であり、わかりやすい説明、ホスピタリティある日々の対応によって導かれる。

オフィス

オフィスは、会社の事業継続のベースであり、その担保はあらゆる会社にとってきわめて重要である。この事業継続のために、特に工事中の執務スペースの確保、移転先や契約の支援など、ソフト的な支援によりクライアントが計画を進めることができる状況を創出すること、さらに下記の工場と同じく機会損失益を加えて議論を深めること、これら二つが十分条件となる。

工場―改修費用+大地震時補修費用+機会損失益の最小値

工場の被災は、会社の利益を直接的に損なう。前述の、改修費用+PML×再調達価格という考え方に、機会損失益というパラメータを加えて判断する必要がある。これで初めて、クライアントの正しい判断を導く基盤が整えられる。なお、製薬会社など安定的に製品を届けることが社会的使命であるクライアントにとっては、事業継続性こそが最も重要な判断基準であり、この場合Is値をより高める選択肢をも加えて資料提供することが重要となる。なお、機会損失益をどこまで勘案するかは、いうまでもなくその会社の置かれている経営や競争環境により大きく異なり、この場合も十分な協議が重要となる。

補助金

国民の安全な生活基盤を構築するという国にとって最も重要な責務を果たすべく、国土交通省は耐震改修促進法の改正に加え、補助金制度を充実し、耐震改修工事を積極的に支援している。クライアントにとって、これら補助金の活用はきわめて有効な手段であり、私たちは補助金取得の支援が絶対的に求められているものと考えたい。活用できる補助金を理解し(表3、図4)、その作業量と手続きをしっかりと工程などに反映し、クライアントの期待に応えられたい。

[表3] 国土交通省の補助制度(耐震対策緊急促進事業)
建築物の区分 対象行為 建築物の所在地の地方公共団体による当該建築物へ補助制度の整備状況
整備されていない場合 整備されている場合
・ 不特定多数の者が利用 する大規模建築物等 耐震診断 国(支援室)が窓口となり、直接的に補助を実施
○耐震診断、補強設計 国 1/3
○耐震改修 国 11.5%
地方公共団体が窓口となり、国の補助と地方公共団体の補助を併せて実施
 (注)補助率については、地方公共団体で要確認
○耐震診断 補強設計 最大で 国 1/2 地方 1/2
○耐震改修
・ 不特定多数の者が利用する大規模建築物等
最大で 国 1/3 地方 1/3
・ 避難路沿道建築物、防災拠点建築物
最大で 国 2/5 地方 2/5
補強設計
耐震改修
・ 都道府県または市町村が指定する避難路沿道建築物
・ 都道府県が指定する防災拠点建築物
耐震診断 国からの直接補助なし
補強設計
耐震改修

[図4] 都道府県・政令市における耐震改修への補助制度の整備状況(旅館・ホテル)(出典:国土交通省HP)

[図4] 都道府県・政令市における耐震改修への補助制度の整備状況(旅館・ホテル)(出典:国土交通省HP)

[図4] 都道府県・政令市における耐震改修への補助制度の整備状況(旅館・ホテル)(出典:国土交通省HP)

おわりに

判断基準にはコストや安全性、利益の3要素のバランスからなる必要条件と、クライアントの置かれている社会的・経済的条件や、投資のための環境づくりなどのソフト的要素という十分条件がある。そして、これら二つが揃ったときに初めてプロジェクトは動き出す。これらを理解のうえ、設計者、施工者としてクライアントをしっかりと支援されたい。

*この記事は『建築技術』2015年10月号に掲載されたものです。

註1
すでにある欲求を理解し満足させる商品・サービスを提供することで、顧客を動かし、自然と売れるような状況をつくり出す活動をすること
註2
収益などに加え、使い勝手や、よりよい生活など広義の意
註3
割引率:ある将来時点の収益を現在時点の価値に割り戻す際に使用される率、利回り:一般的に物件のリスクとは反比例する。年間収益/不動産価格
註4
不動産鑑定評価基準に関する実務指針、未竣工建物等鑑定評価の考え方を参考
註5
PML(probable Maximum Loss)再現期間475年相当に対して、予想される最大の物的損失額の再調達費用に対する割合