地方創生を成功させる「地方」と「都市」の新たな役割分担
産品を生産し、労働力を供給する「地方」は消費する「都市」と役割を分担することで、豊かさを保ってきました。しかし現代、この関係は必ずしも効果的に作用しているとは限りません。地方と都市の役割を再評価、再構築することで地方創生の糸口を見出していきます。
人口増加が地方を豊かにするとは限らない
「地方創生」が叫ばれる根本には、「都市」と「地方」の経済的な格差の存在があります。そして、これまでのような各種の補助金や交付金などによる「富」の還流と、中央主導の施策の注入の効果も限界に達しつつあるように見えます。私たちは、やり方を変える時期に来ているというわけです。
そうは言っても、「地方」の全てが衰退しているというわけではなく、豊かな「地方」もまだまだたくさんあると思います。
そこで私たちも、水の流れの観察から治水の力学を洞察した弘法大師空海に倣い、「豊かな地方」の観察から力学を解き明かすことから始めてみましょう。
「地方」の問題は、真っ先に人口の増減と結びつけられて考えられています。そこでまず、人口の「増減」と可処分所得の関係を調べてみました[図1]。
[図1] 人口増加率——大と小のTOP10
1884(明治17)年の乙種現住人口(つまり戸籍)と2010年の国勢調査、2013年の勤労者世帯の可処分所得(総務省統計局「地域別統計データベース」)より。北海道は都道府県別データとしては除外した。
すると、1884(明治17)年から2010年の126年間で日本の人口は340%増加しましたが、2013年に可処分所得が最も高かった富山県の人口増加率は156%しかありません。
そこで今度は、東京や大阪などの「大都市」都府県と、群馬、静岡などの「都市近郊」県、富山や福島など「地方」県の3つにグルーピングして相関関係を見てみましょう。すると、「大都市」と「都市近郊」では人口増加率が高いほど可処分所得が高く、「地方」では人口増加率が低いほど可処分所得が高い傾向にあることがわかりました[図2]。つまり、人口が増えれば豊かになるということではないのです。
[図2] 人口増加率と可処分所得額の関係(著者作成)
地方の衰退の本質は「地方的なもの」の喪失
近代日本の経済成長は、「ヒト」を送り出し人口増加を抑制した「地方」と、「ヒト」を受け入れ吸収した「都市」の相互関係で成り立ってきたことが、うかがえる結果だと思います。そして今日、この関係がうまく機能していないようです。それはなぜでしょうか。
江戸時代の「大都市」江戸では、婚姻率は50%以下(男)であり、町人の多くは日雇稼、棒手振等の不定期就労者でした。出生や所得の構造に関して見ると、独身と不定期就労者の街である今日の東京と当時の江戸は驚くほど似ています。
「地方」はどうでしょうか。江戸時代、婚姻率はほぼ100%でした。「百姓」という言葉がありますが、これはもともとさまざまな収入源をもつ地方の自営業者のような存在を指す言葉だったそうです。つまり、強固な収入基盤を備え、人口を供給する「地方」が数多く存在していたのです。しかし時代とともにその多くが、衰退する「地方」へ姿を変えてしまいました。
どうやら、「地方」の衰退の本質は、「地方」が変質し、「地方」的なものが喪失してしまったことにあると言えそうです。
そのことは、「いまだに豊かな地方」を見たとき、よりはっきりと実感されます。例えば富山県には、「散さんきょそん居村」と呼ばれる美しい集落が残っています。このような集落が持続するためには、地域の人口構造と生活の基盤が持続しているはずです[図3]。
「地方」と「都市」の相互関係を考えれば、総体としての「地方」の衰退はいずれ「都市」に波及するでしょう。「地方創生」は「都市」の存立の問題でもあるのです。
[図3] 富山県砺波平野の散居村
自分の耕地の近くに住戸を構えるため、集落が分散している。各戸が防風林を備えているため、まるで海原に散らばる小島のようである。人口が増えないことによる豊かな景観と言えないだろうか。(写真提供:砺波市)
価値創造の分業という観点で地方と都市を再定義する
私は、「地方」と「都市」の相互関係による価値創造のメカニズムは、2つの流れに整理できると考えています[図4]。
1つは、「地方」での濃厚なコミュニケーションが、才能ある「ヒト」、特産品と言われる差異ある「モノ」を生み、変化として「都市」に供給するイノベーションの流れ。
もう1つは、「都市」での多種多様なコミュニケーションの場で、それらが消費、交換され、売れる仕組みが「地方」に提供されるマーケティングの流れです。
私たちは今、「地方」と「都市」の分業体制の崩壊を目前にしています。空海の作法に倣うならば、この強い流れを、逆らうことなく変えてゆくべきでしょう。「地方」と「都市」の再定義から出発するのです。
[図4]「地方」と「都市」の価値創造のメカニズム
「地方」も「都市」も、価値創造という観点からは単独では存在できない。ただし、今日では「地方的なるもの」、「都市的なるもの」と言い換えた方が良いかもしれない。交通、物流、情報の革命が地理的空間の意味を変えてしまったからである。そのことに気付いた人たちの新たなビジネスモデルが生まれ始めている。
[図5] 原産地名称保護制度(DOP*)の一例 —— イタリアワインの格付け
- DOCG[統制保証付原産地呼称ワイン]
農林省、商工会議所による最も厳しい検査を受け、ボトルには政府の認可証明シールが貼られて出荷される。 - DOC[統制原産地呼称ワイン]
すべての生産過程(栽培から出荷まで)が審査規定に基づき行われ、審査、検査を経て出荷される。 - IGT[地域特性表示ワイン]
生産地の名前が用いられ、その地域のブドウを最低85%使うことが義務付けられている。 - VdT[テーブルワイン]
最低の基準以外、特に規定はない。
EUの原産地名称保護制度(DOP)が1つの参考になりそうです。各「地方」の価値を定義しブランディングする仕組みは、明らかに「都市」的感性に根差したマーケティング的性質を帯びています[図5]。有名なキャンティ(トスカーナ州)や、バローロ(ピエモンテ州)など、皆さんもご存じの「地方」のワインやチーズが、世界に販路を広げることで、生産者は高い収益を上げ、個性的な「モノ」の生産に没頭できる仕組みができ上がっています。
物流革命と情報革命の成果によって、「都市」的マーケティング機能は現実の「都市」に縛られる必要はなくなりました。私は、「地方」の真の可能性を拓いていくために必要なのは、「地方」の固有の価値を見失わず、同時に「都市」的マーケティングの感性を「地方」に導入していくことだと考えています。このような地理感覚に立つと、施設戦略の視野が拡がることが分かります。すると、そこから逆に事業戦略の制約が減り、「地方」が地方であることの優位性が浮かび上がってきます。
「地方」と「都市」を再定義し、ダイナミックな関係性を再構築し価値創造のメカニズムを再起動することで、「地方創生」をすぐ手に届く場所に引き寄せることができるのです。