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石巻魚市場 須能邦雄社長に訊く「わずか4年で市場を再建できた理由とは?」

石巻魚市場 須能邦雄社長に訊く「わずか4年で市場を再建できた理由とは?」

東日本大震災の津波によって全壊した宮城県の石巻市水産物地方卸売市場。震災から4年後の2015年9月に、新たな魚市場施設が全面的に運用開始となりました。被災直後のまちの様子や水産関係者らのがんばり、公共建築工事として初めて「アットリスクCM方式」を導入し、早期完成が実現した新しい魚市場について、施設を使用する石巻魚市場の須能邦雄社長に伺いました。

「アットリスクCM方式」で魚市場が早期に完成

2015年9月から運営を開始した新施設の特徴は?

新しい市場は地上4階建てで、広さは約5万㎡。岸壁に沿って横に長い建物で、長さは約880mもあります。震災前の施設よりもずっと大きくて、ここまで大規模な水産物の卸売市場は日本でも海外でも珍しい。世界最大級であることは間違いありません。

もう1つの特徴は、閉鎖型の高度衛生管理型施設であることです。石巻魚市場の復興にあたって国が基本計画を作成して整備方針を定めたもので、車両と人と水産物の動線や作業エリアをしっかり分けて衛生管理することによって、水産物が汚染されない仕組みになっています。

放射線の測定器も導入し、きちんと検査をして安全であることを確認した魚を出荷できる態勢も整えました。

海沿いに続く施設の長さはおよそ880mにのぼる。海沿いに続く施設の長さはおよそ880mにのぼる。

閉鎖型の高度衛生管理型施設。閉鎖型の高度衛生管理型施設。

建設には、「アットリスクCM方式」が採用されました。

魚市場の建設は石巻市の事業です。施設を使うわれわれとしては、できる限り早く完成させてほしいと願っていました。しかし、震災復興でさまざまなインフラ施設を同時に建設しなければならなかったため、発注者のほうでもなかなか手が回らなかったのです。

そんなとき、新聞でUR都市機構が被災地で住宅の高台移転などの土木工事に「アットリスクCM方式」を活用していると知り、魚市場の工事にもこれを取り入れれば早くできるのではないかと、石巻市に提案しました。公共建築工事では前例がないということだったけれど、市のほうで検討した結果、この方法を導入することになったのです。

そのおかげで、これだけの規模の施設が計画から3年間で竣工しました。石巻では市場とまちは一体だから、市場の復興はすなわちまちの復興。市場が早く完成したことで、それだけまちの自立が早まったわけです。

関連:震災復興で導入されたアットリスクCM方式とは?

魚市場の復興で、まちの自立が早まった

震災直後、石巻魚市場の周辺はどのような状況でしたか。

津波で魚市場は全壊し、漁港施設や後背地の水産加工場なども壊滅状態でした。当初は誰もが茫然自失でしたが、少し落ち着いたところで、まずは壊れた冷凍庫の中に入ったまま腐った魚の処理から始めました。市場の社員をはじめ水産関係者やボランティアなど250〜300人ぐらいで2カ月かけて約5万トンの在庫を処分したのです。体中に猛烈な臭いがついて、風呂もないし、それは過酷な作業でした。

しかし、新入社員の若者から経験豊富なベテランまで、上下なく全員が力を合わせてこの作業にあたったことで、漁港に関わるメンバーの結束力が非常に高まりました。フラットにものを言うことができ、合意形成のしやすい土壌が出来上がったのです。震災と津波は私たちにとって大きな試練ではありましたが、どんなものごとも悪いことだけじゃない。必ずいい面もあるのだと改めて実感しました。

漁場への打撃も大きかったのですか。

圧倒的な魚種の豊かさを誇る石巻市水産物地方卸売市場。圧倒的な魚種の豊かさを誇る石巻市水産物地方卸売市場。

石巻は、ノルウェー沖、カナダのニューファンドランド沖と並び「世界3大漁場」の1つと称される三陸・金華山沖の漁場を抱えています。他の2つの漁場がいずれも北海に位置し、タラやサバなど単一魚種の漁場であるのに対し、暖流と寒流の交差する三陸・金華山沖には潮流に乗ってさまざまな魚が集まり、魚種がとても豊富です。

しかし、近年は地球温暖化の影響で海水温が上がるとともに潮流が変わり、さらに異常気象の豪雨による土砂の流入で餌のプランクトンが減るなど、環境条件が悪化していたことも事実です。また、資源管理の観点から、漁獲規制も厳しさを増しています。これらの理由によって、漁獲量はじつは震災前から減少傾向にありました。

それが、震災を機に施設や設備、漁船が新しくなる、津波で海底のヘドロが流されて貝類の生育がよくなる、といったメリットもありました。もっとも、加工業者が工場を再建できない、何年も休業している間に販売先を失うなどの状況があり、それが生産量に影響するといったデメリットもある。だから、震災前と比べて今がどうか、というのは一概には言えません。

石巻魚市場 須能邦雄社長

震災からわずか4ヶ月後に、仮設のテントで競りを再開させましたね。

1日でも早く再開したかったので、私にとっては「わずか4ヵ月」ではありません。水産業のまちだから、「皆を一番勇気づけるのは、魚を見せることだ」と信じていました。ちょうど2011年の7月に、「イカを獲ったのを持って行きたい」と漁船から相談があり、急きょ、運動会で使うようなテントを用意して競りを行ったのです。


まだ震災後の混乱が続くなか、いろいろな判断や決断を求められる状況もあったけれども、自分が責任を取ればいい、と腹をくくりました。「大変だったでしょう」って? なに、私はこういう問題処理には慣れているのですよ。大洋漁業に勤めていたころは、北洋サケマス漁業で43隻の独航船の船団長として、1000人を束ねる責任者を経験しましたからね。

新しい魚市場での競りの様子。新しい魚市場での競りの様子。

それに、シアトルやサハリンなど海外に駐在したこともあるから、異文化コミュニケーションのコツも知っている。外国人と議論するときは、とにかく主語をはっきりさせないとダメ。誰の意思なのか、誰が責任を取るのか、とね。非常時には、日本人同士で話し合う場合も同じです。

思ったとおり、市場が動き出すと、加工業者たちもやる気になり、漁業者も立ち上がってくれました。

聞き手・文:三上美絵
写真:新良太

須能邦雄
Kunio Sunou

1943年茨城県生まれ。東京水産大学(現・東京海洋大学)を経て、大洋漁業(現・マルハニチロホールディングス)で母船式北洋サケマス漁業の船団長やシアトルとサハリンの駐在を経験。2001年から石巻魚市場株式会社代表取締役社長。