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仕事の本質は、情念!?“斬新”の製造方法 | 信藤三雄氏×川原秀仁対談(1)

情報量が多く、美しいビジュアルはどう作られてきたのか… … 仕事の本質は、情念!?“斬新”の製造方法 | 信藤三雄氏×川原秀仁対談(1)

松任谷由実、Mr.Children、サザンオールスターズなどのアートディレクションを手がける信藤三雄さんと、川原秀仁の対談が実現。目に見えない“価値”を形にし続ける仕事について伺いました。

音楽に没頭していた時代

川原秀仁(以下・川原) 信藤さんのお名前を知ったのは、今から35年ほど前のことです。ソウル音楽雑誌『ソウル・オン』で知られる音楽評論家・桜井ユタカさんの書籍で拝見しました。その後、当時、ディープな音楽雑誌だった『FOREVER MAGAZINE』での信藤さんの記事も熟読していました。当時の私は、ソウルミュージック中心のレコード収集に没頭していました。

信藤三雄さん(以下・信藤) 音楽がお好きなんですね。

川原 はい。湯村輝彦さん(イラストレーター・音楽評論家)が発信する、マニアックな情報を血眼になって探していました。

信藤 それで僕の記事も読んでくれていたのですか。

川原 はい、そうです。同時に、私はソウルミュージックのミニコミ誌『ソウルシティネットワーク』の制作を手伝っていました。


“時代の先端にはいたくない。一瞬にしてダサくなるからね”(信藤)

信藤三雄氏

信藤 今でもマニアなんですか?

川原 はい。レコードはリビングの棚に収め切れぬほどです。音楽といえば、信藤さんは、1982年にバンド「スクーターズ」を結成。モータウンビートを奏でるギタリストとしても活躍されていましたね。

信藤 バンドは30歳の誕生日パーティの時に、何か面白いことを始めようとスタートしたのです。

川原 その後、松任谷由実さんやMr.Children、サザンオールスターズのアルバムなどのアートディレクションを手がけていらっしゃっていましたが、スクーターズの信藤さんとは、長らく別人だと思っていいました。

衝撃を受けたデザイン

信藤さんは2018年の夏、1,000点以上の作品を集めた『ビーマイベイビー 信藤三雄レトロスペクティブ』を世田谷文学館で開催。国内外から注目されました。

川原 私は図録を購入したのですが、この表紙はハーパース・ビザール(アメリカのロックバンド)の『アズ・タイム・ゴーズ・バイ』のジャケットの人ですよね。

信藤 そうです! それを指摘したのは、川原さんが初めてです。

川原 あのカッコよくてエロティックなデザインに「何だ、これは」と衝撃を受けました。

信藤 すばらしい!

川原 学生の頃は一時期ディスコのDJをやっていて、私の人生は音楽とともにあります。

信藤 今の仕事とは、全く想像もつきませんね。

川原 現在の仕事は、大規模のスポーツ施設、ミュージアム、メディア、本社ビル、ホテル、研究所など多岐にわたります。

信藤 建設会社とは違うんですね。

川原 建設や設計をするわけではありません。施設建築に関わる全般的なディレクションやマネジメントを行っています。そういう意味では、信藤さんの音楽に対する関わり方と同じです。

信藤 チームラボのデジタルアートミュージアムのマネジメントもやっていらっしゃる。

川原 まちづくりほか、お客さまの全ての建築物を、経営上有益なものにするという、いわば“施設参謀”の仕事をする会社があると、知っていただけてうれしいです。

時代の空気を感じる電波

デザインも施設参謀も、時代の雰囲気をキャッチし、仕事に盛り込むことが大切。この可視化できないものを見つけるために、気を付けていることを教えてください。

信藤 僕はテレビも雑誌も特に見てはいないし、若者文化を考えることもしていません。時代の空気の“電波”のようなものを感じています。

川原 私は時代の変わり目を感じるとき、いつも信藤さんの仕事があると考えています。ユーミンのジャケットが変わったのはセンセーショナルでした。私は84年から九州に転勤になり、4年目に東京に帰ってきました。この間に信藤さんが手がけた『NO SIDE』(84年)、『DA・DI・DA』(85年)、『ALARM á la mode』(86年)、『ダイアモンドダストが消えぬまに』(87年)、『Delight Slight Light KISS』(88年)という5枚のアルバムが出ましたが、その時、様変わりした東京に衝撃を受けました。それまでLPレコード派でしたが、あの『Delight Slight Light KISS』3D仕様のジャケットで、初めてCDを買いました。

信藤 僕も当初はLP派。CDはLPの単なる縮小版と考えていたころは興味がありませんでした。しかしCDをおもちゃみたいなユニークなものととらえるようになったら、面白くなりました。そこで手がけたのが、あの3Dジャケットです。そのうち、“おまけ”をつけるようになりました。そのヒントは、ビートルズの『ホワイト・アルバム』の織り込みポスターでした。その後、シールや特殊仕様など、いろいろやりましたね。

30年以上持ち続けている信藤さんの作品 30年以上持ち続けている信藤さんの作品


“LPレコードからCDへ……迫力を表現した、その仕事に影響を受けました”(川原)

川原秀仁

川原 斬新という言葉ではとどまりません。信藤さんはCDという存在を昇華させました。その後、私がJICAで海外に行き、90年に帰国した時は、東京が信藤ワールド一色になっていました。フリッパーズ・ギター、ピチカート・ファイヴなどのアルバムを手がけられ、渋谷系音楽のビジュアルを確立した立役者でした。喫茶店音楽が、カフェ音楽になり、それはインテリア、ファッションほか人々の生活を変えました。また、渋谷系音楽は強烈なビジュアルととも に、“東京”をアイコンにして、世界に発信。これは信藤さんの功績だと思います。

信藤さんの最新WORKS 信藤さんの最新WORKS

信藤三雄氏

アートディレクター
信藤 三雄(しんどう・みつお)

アートディレクター、映像ディレクター、フォトグラファー。1948年生まれ。デザイン事務所などを経て、77年に独立。松任谷由実、ピチカート・ファイヴ、Mr.Children、エレファントカシマシ、MISIAほか、数多くのCDジャケットを制作。書道家としても活躍中。現在、沖縄と東京の2拠点生活をしている。

川原秀仁

山下PMC 代表取締役社長
川原 秀仁(かわはら・ひでひと)

1960年、佐賀県唐津市生まれ。大学卒業後、農用地開発公団、JICA等を経て、山下設計に入社。山下PMCの創業メンバーとして転籍し、国内のプロジェクトマネジメント・コンストラクションマネジメント技術の礎を築く。著書に『プラットフォームビジネスの最強法則-すべての産業は統合化される』(光文社)、『施設参謀―建設リスクを経営資源に変えるコンサルティング』(ダイヤモンド社)がある。

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