プロジェクト座談〈前編〉

人と組織を動かす、意思決定のしくみ

[1995年~2006年]

大阪から湘南へ、創薬のための移転の決意

国際競争力を高めるためには
研究機能を強化するしかない、
という判断が下されたのです(野村)

まずは武田薬品工業で主要な立場から本プロジェクトに携わったお2人に、プロジェクト発足の経緯を教えていただきます。

橋口:
新しい研究所を設立しようというアイデア自体は、1995年の後半くらいからありましたが、2006年ごろから一気に話が具体化しはじめたんです。
野村:
なぜかというと、そのころ医薬品業界は大きな課題に直面しつつあったのです。大型の医薬品の特許が一斉に切れる「2010年問題」です。弊社でも4つの大型新薬のうち3つの品目の特許が切れる2010年頃からの、売上高の激減が予想されていました。一方で、国際競争は激化しています。弊社の研究所の核はこれまで大阪市内にあったのですが、研究施設があちこちに分散しており、1988年開設の「つくば研究所」とのコミュニケーションにも課題を抱えていました。そこで将来的な国際競争力を高めるためには研究機能を1ヶ所にまとめ、強化するしかない、という判断が下されたのです。
橋口:
彩都(大阪府)と現在の湘南の2ヶ所の候補地から湘南に決定したのが、2006年末でしたね。
野村:
この敷地は1963年から2006年までOTC医薬品の生産をしていた工場の跡地で、土地勘も、行政との関係も既にあり、さらに神奈川県内にはバイオ関連企業や大学も多く、共同研究や人材採用でのメリットも期待できました。
橋口:
加えてグローバルな人材を確保する上では関東に分があるのではないかという経営判断もありました。
野村:
現在こちらで働く約1,300人の社員、関連会社や委託先をあわせると約1,800人のほとんどが関西在住だったのですから、移転は“民族大移動”です。当初は抵抗の声も多かったのですが、研究所内に保育施設を用意する、といった福利厚生面の充実など、さまざまな準備をし、くり返し説明しました。

CM(コンストラクション・マネジメント)方式にしないと実現できない、
という意見が早い段階で出ていました(橋口)

”民族大移動”という表現から、プロジェクトの規模や位置づけの重要さが伝わってきました。
プロジェクトを進める上で、御社の中ではどのような課題や難しさがありましたか。

橋口:
研究者は、研究室を“自分の部屋”のように捉えている者が多いのです。各研究者の要求を聞き、設計に反映させる仕事が必要です。しかしこの規模になると社内ではケアしきれません。CM(コンストラクション・マネジメント)方式にしないと実現できないのではないか、という意見が早い段階で出ていました。

「CMでないと実現できない」とは、どういうことでしょうか。

橋口:
湘南研究所ができる前までは通常、社内のエンジニアリング部が社内の意見を統括し、集約して建設・設計会社に伝えるスタイルでした。しかしこれほど大規模になると、社内だけでは1,800人の研究者それぞれの要望に対応しきれないんです。そこでCM方式で行くという判断がなされ、コンストラクション・マネジメント会社に入ってもらうことになりました。そして2007年初頭に設計とCMと、別々にコンペを行い、設計をプランテック、コンストラクション・マネジメントを山下グループ(山下設計/山下ピー・エム・コンサルタンツ)という体制で進めることに決まったのです。

武田薬品工業 湘南研究所の入場ゲート。1,800人が入居し、まるで1つの都市のようなスケールを持つ。